コラム
Media Innovation Lab
【スペシャル対談】「テクノロジーの進化はビジネスをどう変えるのか (前編) 【Media Innovation Labレポート.35】
森本 典繁氏
日本IBM
副社長執行役員 最高技術責任者 兼 研究開発担当
一般社団法人 情報処理学会 会長
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安本 純毅
博報堂DYメディアパートナーズ
イノベーションセンター センター長
MEDIA INNOVATION LAB ラボ長
生成AIの活用シーンが広がり、量子コンピューターも実用のフェーズに近づきつつあります。これらの新しいテクノロジーは、人々の生活やビジネスをどう変えていくのでしょうか。テクノロジーやメディアの最新動向をリサーチしてきた博報堂DYメディアパートナーズ・MEDIA INNOVATION LABの安本純毅と、日本IBMの研究開発部門のトップであり、量子コンピューターを始めとする最新技術に深い知見をもつ森本典繁氏。中学校から大学まで学友だった2人が、テクノロジーの現在と未来について語り合いました。
AIとクリエイティビティ
安本
森本さんの大学時代の専門は、確か半導体でしたね。
森本
そうです。電子工学科で半導体の物性や材料について勉強しました。でもIBMに就職したときには、半導体以外のことがやりたいと希望したんです。視野を広げたかったから。それで、ディスプレイの製品開発に携わることになりました。80年代でしたから、PCのディスプレイはまだブラウン管でした。それが90年代に入って液晶ディスプレイになったけれど、その後IBMはコモディティ化したという事で、ディスプレイ事業を手放しました。同じ理由でのちに僕が携わっていたPC事業からも撤退しました。
安本
投資技術エリアがシフトしていったのですね。
森本
はい。このような経緯で、僕は若い時期に、自分が関わっていた先端の技術分野がその進歩の速さによって急速に陳腐化していくという経験をしたわけです。あの経験は大きかったですね。時代の変化の先を見なければいけない。そうしないと生き残ることはできない──。そんな感覚が身についたと思います。それ以降は、「IBMという大きな船の一番舳先に立って、先の先を見続けよう」という気持ちをずっと大切にしてきました。
安本
Watsonのような先端的なAIに携わったり、量子コンピューターの研究を進めたりしているのも、先の先を見ていこうという思いがあるからなのでしょうね。
森本
そうですね。僕の最新の活動の一つは量子コンピューターですが、確か2007年頃にアメリカで開発が始まっているという話を社内で聞いていたんです。2015年頃に情報がオープンになってからは、日本にぜひ量子コンピューターの実機を持ってきたいと考えるようになりました。そこから様々な活動を経て、国内で初めてのゲート型商用量子コンピューター〈IBM Quantum System One〉が「かわさき新産業創造センター」で稼働し始めたのは2021年でした。
(IBM Quantum System One 実物大模型)
安本
博報堂DYグループの中にあって私が所属する博報堂DYメディアパートナーズは、メディアビジネスやコンテンツビジネスに広く携わっているわけですが、この領域でもDXが加速度的に進み、新しいテクノロジーがどんどん導入されています。最近注目が集まっているのは、やはり生成AIです。AIがテキストから画像、動画まで生成できるようになってきて、クリエイティビティの概念が変わりつつあるという意見もあります。森本さんは生成AIの現状をどう見ていますか。
森本
AIの進化は以前から予測されていましたが、これほどのスピードで進化するとは考えていませんでした。この20年間、AIは驚くべきペースで進化して、ディープラーニング、大規模言語モデル、ファウンデーションモデルと次々に新しい段階に進んでいます。とくに、最近は自然言語でAIを操れるようになったことがAIの普及に関しては非常に大きいと思います。
AIができることも増えています。例えば、生成AIでコンピュータープログラムを書くといった事はすでに実現しています。化学式や物理法則をAIに学ばせて、新しい物性や材料を発見する試みも行われています。材料の組み合わせのパターンが何億種類とある中で、AIが20種類くらいの候補を当たりをつけて見つけてくれたりするわけです。
安本
人間のクリエイティビティに対する生成AIの影響をどう見るべきでしょうか。
森本
生成AIは人間の学習の様でもあり、例えば、言葉をたくさん学習させればコピーが書けるようになるし、絵をたくさん勉強させれば絵が描けるようになります。以前、IBMの中国の研究所で、AIに漢詩を書かせる実験が行われたことがあります。古代の五経から始まって、李白や杜甫の漢詩を沢山学ばせて、五言絶句や七言絶句といった詩的表現のルールを憶えさせ、漢詩をつくらせたわけです。結果、かなりいい作品をつくるようになりました。
安本
では、人間のクリエイティビティはAIに取って代わられてしまうのでしょうか。
森本
そうではないと僕は思います。作品はたんなるアウトカムではありません。誰が、どのような思いをもって、どのような状況でつくったかということもまた作品を構成する重要な要素です。つまり、個々のクリエイティブにはコンテクスト、つまりそこに至るまでのストーリや背景があるということです。AIが小説を書くことは可能だけれど、書き手がいない小説に人は感動するだろうか。AIがピカソそっくりの絵を描くことはできるけれど、そのような絵に僕たちは心を動かされるだろうか、と思うのです。
安本
難しいでしょうね。
森本
そうですよね。僕たちはコンテクストを含めて作品を受容しているわけです。だから、コンテクストがもつ人間的価値が今後は非常に重要になる。僕はそう思っています。
AIは本当に人の仕事を奪うのか
安本
まさにおっしゃるとおりですね。一方で、コンテクスト自体のデータ化も不可能ではないという考え方もあると思います。ある作家が幼少期から受けた教育や読んだ本、見た映画、聴いてきた音楽などをデータ化してAIに学習させれば、もしかしたらその作家が実際に書いたような小説ができてしまうかもしれません。
森本
可能性はあるでしょうね。それでも、コンテンツを受容し鑑賞するのが人である限り、人がつくったものの需要はなくならないんじゃないかなと思います。もちろんコンテンツにもいろいろな種類がありますし、制作の効率が重視されるものもあります。IBMはハリウッドの映画会社と映画の予告編をAIでつくるプロジェクトに取り組んだことがあります。AIが特に優れているのは、例えば「13秒の予告編を17秒に伸ばしてくれ」というコマンドにも難なく対応してしまうことです。それに、何度ダメ出しをしても文句を言いません(笑)。こういった領域では、制作補助ツールとしてのAIの利用が進んでいくと思いますね。
安本
月並みな議論になってしまいますが、そうなるとやはり人間の仕事が減ることになるのでしょうか。
森本
確かに、AIで代替できる部分の仕事は減るけれど、同時に別の仕事が生まれると思います。
かつて銀行のATMが導入されたとき、銀行員の皆さんは反発しました。自分たちの仕事がなくなってしまうのではないかと。ところが実際にATMが導入されると、逆に銀行の窓口業務が40%くらい増えたんです。なぜ増えたか。ATMを設置したため、行員の少ない小さな支店をたくさん作ることができたからです。銀行員はそのような支店に配属されて、単純な預金の出し入れの仕事はATMに任せて、窓口での営業や接客業務を担うようになった。結果、仕事は減らなかったわけです。
さらに時代をさかのぼれば、自動車が発明されたときもそうでした。それまでの交通手段である馬車に関わっていた人たちの仕事がなくなると言われましたが、実際には車の修理やパーツ製造などの仕事が新たに生まれ、逆に雇用が増えました。
安本
AIでも同じことが言えるということですね。
森本
そのとおりです。AIに関連して人間がやるべき仕事はたくさんあります。例えば、AIに学習させるデータを選択したりラベリングする仕事、AIが出した答えを採点しフィードバックして回答の精度を上げる仕事にも多くの人間が関わっています。また、一般企業が自社でAIを運用するようになったら、AIが使うデータの精査、管理やAIシステム自体の監視やメンテナンスなどを担当する専門的な部門が設けられることになるでしょう。そのような部門ではかなりの数の人たちが働くことになると思います。
AIが普及することによって、現在の人の仕事のある部分がAIに取って代わられる。それは間違いありません。しかし、人がやるべき仕事がなくなるということはない。これも確かなことだと思います。
「AI×量子コンピューター」の可能性
安本
AIと量子コンピューターの組み合わせの可能性についてもお聞かせいただけますか。
森本
AIと量子コンピューターはかなり親和性が高いと言えます。
人間の頭の中では、いろいろな要素がアナログ的に、いわばぼんやりと結びついて意識や記憶を構成しています。それを従来のコンピューティング技術でデジタルとして再現するのはとてもたいへんです。例えば、単純な画像を例に取っても、僕たちが2つの目で見ているものをデジタル化しようとしたら、画素数は数百万、それぞれの画素の色はRGB3色のそれぞれ256階調あり、1600万近い組み合わせの種類の色や明るさで表現します。再生する場合はそのつど圧縮した画像を復号して戻し、フィルターをかける、といった具合に極めて面倒な作業を行わなければなりません。人間の目や脳ではこの様な複雑な処理は行なっていません。
安本
それは人間に備わっているメカニズムとはまったく別のものですね。
森本
そうですよね。それに対して、量子コンピューターの原理はアナログに近いと言えます。自然界にあるものを見たまま、聞いたままの形で演算し、分析ができる可能性があります。それが量子コンピューターの特徴です。この特徴をAIと組み合わせれば、人間の脳に近い仕組みを生み出すことができるかもしれません。
安本
AIはどんどん人間に近づいていくということですね。
森本
どんどん複雑になって、人間に近づいていく流れにあることは確かです。これまでのAIの進化の変遷を見ると、1980年から2010年までの30年ほどの間にAIの複雑度は100万倍ほどになりました。この数字は、別の進化のペースとぴったり符合しています。ムーアの法則です。「半導体集積回路の集積率は18カ月で2倍になる」というのがムーアの法則です。この経験則に基づけば、半導体の集積率は30年間で約100万倍になります。事実、その流れでコンピューターは進化してきました。つまり、これまでのAIの進化は、コンピューターの性能の進化に律速されていた訳です。
我々が知っている多くのAIのアルゴリズムは、すでに1950年代に考案されていたものです。「人工知能の父」と呼ばれているマービン・ミンスキーは、AIができるあらゆる可能性を1950年代から研究していました。例えば、AIがチェスで人間と勝負するアルゴリズムなどは早々に考えついていました。問題は、コンピューティングパワーがそれに追いついていないことでした。アルゴリズムはわかっていても、例えばチェスの一手を打つのに一週間くらい計算に時間がかかってしまうのでは使えないわけです。
安本
それでは対戦になりませんね。
森本
そのとおりです。しかし、コンピューターが長足の進歩を遂げることによって、いろいろなアルゴリズムを実現できるようになりました。1997年には、IBMのスパコンのDeep Blueが人間のチェスのチャンピオンとの対戦を可能にし、2000年代に入ってからは、IBMのPower7をベースにしたスパコンWatsonによって、人間のクイズ王と対戦するといったことも可能になっています。
その後ディープラーニングの技術が出てくることによって、AIの複雑度はさらに急速に上がりました。AIはこの20年間でミンスキーが考えもしなかった新しい段階に入っています。コンピューターをたくさんつなぎ、それを一斉に動かしてAIに大量のデータを学習させたら、AIはどんどん賢くなる様になったのです。コンピューティングリソースをつぎ込めばつぎ込むほどAIは複雑に、高性能になる──。これはミンスキーのような天才科学者でも予測できなかったことだと思います。
安本
なぜコンピューティングリソースをつぎ込むことでAIは賢く複雑になるのでしょうか。
森本
それは、実は詳しいところはよくわかっていないのです。現在のGPTのモデルでは、数千億から数兆のパラメーターを繰り返して学習させる事で知識が凝集してAIの回答の精度が上がるのです。しかし、これは実践的にそうなっている事が知られているだけで、「知識が凝集する」科学的な根拠に関する説明はまだなされていません。AIの世界は未知のアルゴリズムの領域に入った。そう言っていいと思います。
安本
なるほど。明確に説明はできないけれど、AIが次のフェーズに入りつつあるのは確かであると。
森本
だけど、まだまだAIは進化すると思います。その意味では、それは驚くようなことではありません。ChatGPTが人類最後で最大のAIなのか。
そんなことはないと断言できます。これまで、ハードウェアの進化とAIの新しいモデルの成立はほぼ10年間隔で続いてきました。これから10年の間には、量子コンピューター、あるいは現在のコンピューターの原理とは異なる「非ノイマン型」と呼ばれるAIコンピューターが実用化されれば、今まで考えつかなかったような新しいアルゴリズムができるでしょう。
そして、今のアルゴリズムの様にスーパーコンピューターをフル稼働させて大規模言語モデルを動かすといった時代は過去のものになるでしょう。「人間と対話できる」事に世界中の人が注目して感嘆していたということが昔話になる日が来るでしょう。
~後編に続く~
森本 典繁氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
副社長執行役員 最高技術責任者 兼 研究開発担当
一般社団法人 情報処理学会 会長
1987年慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業 日本アイ・ビー・エム株式会社入社後、メインフレームやPC用のディスプレイの開発を担当。1995年、米国マサチューセッツ工科大学への留学、MIT Media Labでの研究員を経てIBM東京基礎研究所に転入。2006年に米国IBMワトソン研究所赴任、2008年グローバル研究戦略担当に就任し、世界の10以上の地域で新規基礎研究所設置の為の評価や計画を立案。2009年にIBM東京基礎研究所所長に就任。2015年にIBM Asia Pacificに転出し域内10か国を統括するChief Technology Officerを担当。2017年に日本に帰国し、執行役員 研究開発担当に就任、2020年に最高技術責任者を兼任。2021年に常務執行役員に就任。2023年より現職。
安本 純毅
博報堂DYメディアパートナーズ
イノベーションセンター センター長
MEDIA INNOVATION LAB ラボ長
慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程修了後、1989年に博報堂入社。2015年に博報堂DYメディアパートナーズへ。
入社以来、人事制度改革、経営戦略策定、M&A、関連会社の設立など、博報堂DYグループの組織変革に携わる。
2019年より、博報堂DYメディアパートナーズ イノベーションセンター長として新規事業開発、メディア・コンテンツ事業に関する先端技術・ビジネスの研究、業務プロセス改革の3領域を統括。
2021年からは、博報堂の新規事業開発組織 ミライの事業センターを兼務。
2000年にUCLA Anderson School of ManagementにてMBA取得
※Media Innovation Lab (メディアイノベーションラボ)
博報堂DYメディアパートナーズとデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムが、日本、深圳、シリコンバレーを活動拠点とし、AdX(アド・トランスフォーメーション)をテーマにイノベーション創出に向けた情報収集や分析、発信を行う専門組織。両社の力を統合し、メディアビジネス・デジタル領域における次世代ビジネス開発に向けたメディア産業の新たな可能性を模索していきます。
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