コラム
IMCプラニング
コミュニケーションプラナーとして今考えていること
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■ 広告の世界と狭告の世界 ■

私たちの会社は世間一般では「広告会社」と呼ばれている。(正確には「博報堂DYメディアパートナーズ」は日本で唯一の「総合メディア事業会社」だが。)
「広告」のほとんどは皆さんがイメージする「テレビCM」だったり「新聞広告」だったり、多くの人に同じメッセージが同時に届けられるマスメディアで展開されている。基本的には(同一放送エリア内であれば)離れた場所にいても、ある時刻に流れるCMは同じものであり、関東地区であれば視聴率10%の場合は約180万世帯が同時にそのCMを見ていることになる。

一方、最近は別の「広告」、それは「狭告」と呼ぶべきかもしれない情報(広告)があなたの周りを飛び交っている。あなたが見ているYahoo!ポータルのトップ画面。そこに出てくるバナー広告は多分隣の人のバナー広告と違うものが表示されているのではないだろうか?そしてあなたが40代であれば、Facebookのウォールには「40代のあなたへ~」と、あなたが20代の女性であれば「化粧品通販」の案内が流れるなど、あなた自身にあわせた情報が飛び交っていると思う。

さらには最近良く取り上げられているIoT(Internet of Things)。これは文字通りモノ(things)が常にインターネットを介してつながりあうことを指す。機械だけではなくセンサー等で物的な「モノ」全てをインターネットに繋ぎ、大量のデータを集め、それらのデータを解析することで、あなたに最適な広告/情報を送り出す。ある日、自宅の冷蔵庫があなたにツイートするかもしれない。「そろそろ牛乳がなくなりそうです」と。そこには勿論あなたが良く利用するネットスーパーのバナー広告が同時に。
究極的には、パーソナライズされた広告のメタファーとして語られる「トータルリコール」の一場面-街中のポスター広告が網膜スキャンであなた個人を特定しあなたの行動履歴等から最適なデジタルサイネージをあなただけに提示する-といった世界もそんなに遠い未来ではないような気もしてくる。それはあたかもデジタル空間にもう一人のあなたが存在して、現実世界のあなたに語りかけてくるような世界がそこには展開されている。

では、それらははたして「広告」と呼べるものなのだろうか?
広告会社でコミュニケーションをプラニングするとはなんだろう?

■ 左脳と右脳、データとインサイト・・・ ■

そもそもコミュニケーションとは、個人的な考えではあるが「共通の言語、認識、背景を土台にして、お互いの意思の疎通が行われること」ではないだろうか。だから従来は1つのメッセージを起点に「生活者の共通認識を作り出すこと」と「企業/ブランドと生活者の間で意思の疎通を行うこと」両方の役割を広告(マスメディアを中心に)が担ってきた。その時プラナーは確率の高い一つのシナリオに基づいて企業/ブランドからのメッセージをメディアに配置してきた。一方、ここ最近のメディアの変化・テクノロジーの進化はコミュニケーションの方法と機能を大幅に進化させた。デジタル領域の拡大によって個々の生活者の情報がどんどん連続的に見えてくるようになった。
「生活者との意思の疎通」と言う点ではデジタル空間にストックされているそれぞれの記憶を元にそれぞれのシナリオを想定することが効率的かもしれない。一方で多くの人を巻き込む「共通の気付き」を作るシナリオも想定なければならない。
そして最終的には「気付き」を作るシナリオと、各生活者のインサイトを刺激する複数のシナリオを断続的に組み合わせて、企業/ブランドと生活者をつなぐある種のストーリーを動かしてくことが求められている。

その文脈で考えると今はやりのビッグデータに対しても同じ視点が必要だろう。「広告」を前提にした場合には、ひとつの答えに帰着させる必要がある。これはマスメディアが出来るだけ多くの生活者が少しでも反応するようにするためだ。一方、「狭告」で考えると個々の生活者と向き合うそれぞれのインサイトを見つける作業が必要となってくるだろう。

■ 統合の時代とは? ■

いま僕たちは複雑な交差点に立っていると思う。以前のようにコミュニケーションアイデアの出口がいわゆる「広告」だけの時代ではない。だからこそアイデアをどう実行するか、様々な広告メディアや狭告メディアも含めそれらを統合して、紡ぎ合わせることが求められている時代だと思う。「メッセージの配置」から「ストーリーを動かす」為に2つの世界、それはアナログな世界に生きる生活者とデジタル空間にいるもう一人の生活者、左脳的ロジカルな世界と右脳的なインサイトフルな世界、そんな2つの世界、あるいはもっと多くの世界を眺めつつ複数のストーリーを紡ぐことが求められているのではないだろうか?

こんなことを書いていて思い出したのは冒頭に上げた「トータルリコール」と同じF・K・ディック原作の映画「ブレードランナー」だ。そのラストシーンで人間であるディッカードはレプリカント(人造人間)であるレイチェルを連れて旅に出る。ちなみに「ブレードランナー」のラストシーンは他にもいくつかのバリエーションが存在しているが、空撮の明るい絵の中に、明るい未来と運命、希望と絶望などの入り混じった感情をかきたてられる最初のバージョンが私は好きだ。

下吹越 義宏 統合コミュニケーションデザインセンター プラニング部

マーケティングプラニング&リサーチ業務を経て1996年読売広告社、2003年博報堂DYメディアパートナーズへ。1997年から一貫してコミュニケーション&メディアプラニング業務に携わる。ブランディングからダイレクトマーケティング領域までの様々な業態、耐久財から日用品までの様々な商品ジャンルのコミュニケーション&メディアプラニングを幅広く経験。デジタル広告分野についてもダイレクトマーケティング領域との関連で黎明期より関わっている。

※執筆者の部署名は、執筆時のものであり現在の情報と異なる場合があります。

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