コラム
メディア・コンテンツビジネス
広告会社の「エンタテインメントビジネス」 コンテンツプロデューサー座談会【前編】
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2018年、博報堂DYメデイアパートナーズに、新たにエンタテインメントビジネス局ができました。同局の中で活躍するコンテンツプロデューサー4人に集まってもらい、広告会社がどのようにエンタテインメントビジネスに関わっているのか、これまでの経験やこれからの展望などを語っていただきました。聞き手はエンタテインメントビジネス局の杉山豊(すぴ)。杉山が日ごろから尊敬しているという、山下真由子、細谷まどか、岩村真麻、鄭 守娟の4人を迎え、話を伺っていきます。

前列左から、エンタテインメントビジネス局 山下真由子、細谷まどか。後列左から、鄭 守娟、杉山豊、岩村真麻

■経験を活かしながら、新しいことにもチャレンジする日々

杉山
私たちエンタテインメントビジネス局は、「エンタテインメントビジネス」というだけに、単にエンタメを扱うのではなく、グループ全体の利益やビジネスソリューションなどを生み出していくというところがポイントになっていると思います。今日は、そんなエンタテインメントビジネス局の中で私が尊敬している4人を迎え、いろいろ話を伺っていきたいと思います。まずは皆さんの自己紹介をお願いします。

細谷
学生時代に演劇をやっていたので、入社するときには漠然とエンタメ系の仕事ができたらという思いは持っていました。最初はテレビスポット業務に就いていたのですが、少しずつテレビの企画にも関わるようになり、エンタメを専門にやったほうがいいということでエンタテインメントビジネス局のほうに異動しました。
配属当初から大手のアニメーションスタジオを担当させてもらいました。製作委員会のひとりとして制作に関わる形もありますが、自分で映画のプロデュースもしています。また最近は、映画だけでなく、ビジネスになりそうで面白いことには積極的に関わっているという感じです。

岩村
前職はテレビ局の制作スタッフでしたが、博報堂DYメディアパートナーズに中間入社し、海外対応をしています。博報堂及び当社の拠点が多いタイを重点国としてサポートしており、日本のコンテンツを東南アジアの放送局に輸出するという海外展開も含めたコンテンツビジネスを担当しています。複属で国際ライツビジネス局にも所属しており、日本の放送局から仕入れたコンテンツや自社コンテンツのセールス、また現地の制作会社、放送局と日本の放送局の間に入って、ビジネス支援もしています。

山下
大学では美術史を専攻し、学芸員の資格も持っていますが、博報堂入社時の配属は部門長秘書でした。その部門長が役員になり役員室に入られる頃がちょうど博報堂DYメディアパートナーズ設立のタイミングで、思いきって自分の持っている特技を活かそうと職種を変更しました。設立当時は文化事業部やイベント事業部と言う名称で、それからの十数年間所属先の名称はいろいろと変わりましたが、職種としてはずっと変わらずエンタテインメントビジネスを扱う部署に所属し今に至ります。


私ははじめ博報堂入社で、制作営業として韓国の通信大手、日本の下着メーカーや飲料大手などを担当し、その経験を活かして博報堂DYメディアパートナーズへの出向後もクライアント業務を兼ねてしていました。去年は平昌オリンピックにおいて、日本のメディアプロモーションなどに携わっていましたが、今年からは本格的にコンテンツビジネスに携われております。1つは当局で出資しているエンタメ案件を中心に得意先の課題に合わせた企画作りやセールス周りの業務。もう1つは、みなさんのようなプロデューサーの方々をサポートしながらエンタメ案件をプロデュースするアソシエイト業務です。今、まさにエンタメの現場を見ながら勉強しているところです。

■いかに受け入れてもらうか、そのために自分がどう関わるか

杉山
では皆さんの仕事について具体的に教えてください。これまで関わった業務で、印象的な仕事ってありますか?

山下
大きな転機になったと思うのは、2011年から2012年にかけての「フェルメールからのラブレター展」です。媒体社とタッグを組み、広告会社なのに主幹事として展覧会をゼロからつくるという取り組みを経験しました。絵画作品の輸送はもちろん、翻訳や図録の製作もすべて、ゼロから展覧会をつくることを体験させていただいたことは、今の私の最大の財産であり武器になっています。その後は、通常業務である協賛セールスの進め方やその他の業務への向き合い方も随分と変わりました。
特に、「フェルメールからのラブレター展」という、展覧会業界の慣習的には絶対につけない映画のようなタイトルに挑んだことが強く印象に残っています。展覧会のコンセプトに合わせて、新しい手法のプロモーションもいろいろと形にしました。今後は、広告会社らしい取り組みとして、協賛クライアントありきで展覧会テーマから企画を組み立ていく新しい手法を取り入れられたらと、私の中では課題として残っています。

杉山
「フェルメールからのラブレター展」と名付けたことで、単に絵を持ってくるだけでなくひとつのイベントにしたということですよね。

山下
ひとつコンセプトをつくったというか、楽しみ方の切り口を提示したというか。海外側の監修者が「コミュニケーション」というテーマと17世紀のオランダ絵画に頻繁に描かれている「手紙」をテーマにした出品作品を決めてきたので、それをヒントに「ラブレター」という言葉に変換したのは、こちら側のプロデュースです。広告会社ならではの手法でカスタマイズしたわけですが、それがすごく当時の美術展業界においても新しくまたキャッチーだったかなと思います。結果的に美術展にあまり興味のない人でも踏み込みやすい切り口になりました。

杉山
ちなみに、単に「フェルメール展」にしなかった理由はなんですか?

山下
その年はフェルメール作品の出品される展覧会が3つも重なったので、他の企画との差別化を意識し、また私たち広告会社らしさをいかに打ち出すかを考え、海外側から提示された「コミュニケーション」という言葉をカスタマイズした結果です。意識的な部分が半分、無意識も半分だったように思います。

杉山
無意識な部分でも、広告会社にいるからこそのひらめきがあったんじゃないですか。

山下
このタイトルのことに限らずあったと思います。全体の製作進行も、予算ありきでつくるというよりは、企画やコンセプトありきで大胆に組み立てるという進め方をしていたので、新聞社や周りの展覧会製作に慣れている人たちからは驚かれました。私たちとしては製作のノウハウが何もなく手探り状態だっただけなのですが(笑)。
良くいえば自由でダイナミック、悪くいえば無知ということだったわけですが、当時、業界的には話題になりました。

細谷
映画の場合では、担当者によりますが「何の知識」があるかによって、映画への貢献の仕方が変わります。製作委員会の中に入ったとき、その映画が成功するために、広告会社として何ができて、あなたは何ができますか、ということが問われます。大前提、タイアップや協賛作業が行えることは当社の強みとして当然のこととして求められます。私の場合は、それに加えてメディアの知識で委員会に貢献することから始まり、途中から自分でも脚本を書くようになったり、キャスティングで入ったりしました。それによってテリトリーが広がって来た気がします。
そうして経験を積み重ねながら、当社で原作の映画化権をとって、興行収益を予測しつつ制作費を考え、製作委員会を組むために出資者を募り、キャスティングや宣伝など、すべてを請け負うようにもなりました。ただ、いつもそうというわけではなく、ケースバイケースですね。

岩村
海外番組販売には、フォーマットセールスや完パケ(※)セールスがありますが、2014年に初めてセールスが成立したのは完パケ販売でした。当時、タイのテレビが地デジ化され、一挙に24局が開局するというタイミングだったため、新局へのコンテンツ提案が求められました。全部で10作品くらいの取引が成立しましたが、そのうちのひとつにキー局でシーズン化されたドラマがあります。スペシャルドラマもあり、映画化もされたので、全体として話数が多い作品です。海外では話数の長い作品のほうが受け入れられやすいのです。
また、2015年から政府が設立しているBEAJ(一般社団法人放送コンテンツ海外展開促進機構)の、日本の放送コンテンツの海外展開を促進するプロジェクトにも継続して関わっています。テレビ番組を通じてアジアを中心に「日本ファン」の拡大を図るという目的がある取り組みで、直接現地の制作会社と番組をつくり、記者会見やオンエアまで携わります。
今、私が担当しているのは、海外と日本の放送局の橋渡しのような仕事ですが、広告会社として行っているコンテンツの海外展開には、可能性や将来性を感じています。仕事をするとき、広告会社が介在する理由は何かと尋ねられることがあります。私自身は番組の協賛セールスや、効果的なイベント展開をするなど、360度ビジネスができるところがメリットだと思っています。

※そのまま放送できる状態のVTRのこと


エンタメ局にきてまず感じたのは、メンバーが個性豊かなことでした。
また製作委員会という仕組みは初めてで、いろいろ戸惑うこともありました。営業の制作打ち合わせは、次に向けてその場で何かを決めてまとめていく方向に進むことが多かったですが、コンテンツの製作委員会の打ち合わせはもっと長く(笑)。
出席者全員が立場は違うけれど同じコンテンツの成功に向けてそのコンテンツが大好きなみんなが、興行を成功させるためのアイデアをどんどん出し合い、その場で何かを決定したりしなくてもみんながいいと思うものができるまで考え続けることが印象的です。そして、クライアントビジネスではBtoBのビジネスでまとまったターゲットを考えるんですが、コンテンツを扱うときにはBtoCを意識して、ここまで世の中のオーディエンスのことを考えるのかと驚きました。

杉山
得意先が納得すればいいということと、世の中から受け入れられるということは違いますからね。確かに仕事の進め方は違ってくるのでしょう。

★後編はこちら

■プロフィール 

杉山豊(すぴ)
エンタテインメントビジネス局 グループビジネスデザイン部

 

山下真由子
エンタテインメントビジネス局 ビジネス開発部
1999年博報堂入社。役員秘書業務を経た後、2004年博報堂DYメディアパートナーズ設立時から現在に至るまで十数年エンタテインメント部門に所属。主に美術博物展・舞台(演劇・ミュージカル)・コンサート等の富裕層コンテンツの企画開発プロデュース・キャスティング・実施運営制作・スポンサーカスタマイズ等、幅広くライブエンタテインメントジャンルのビジネスに従事している。

 

細谷まどか
エンタテインメントビジネス局 ビジネス開発部
2000年博報堂入社、2004年経営統合に伴い博報堂DYメディアパートナーズへ。04年『ドラマーシャル』、05年『フィッティングアド』、06年『オヤジズムCM』などを企画プロデュース後、映画に活動の場を移す。スタジオジブリを担当。主なプロデュース作品は『あしたの私のつくり方』(07年)、『サラリーマンNEO』(11年)・『ボクたちの交換日記』(13年)、『WOOD JOB!~神去なあなあ日常~』(14年)・『金メダル男』(16年)。

 

岩村真麻
エンタテインメントビジネス局 グループビジネスデザイン部
2013年博報堂DYメディアパートナーズ入社。海外のHDYグループ各社の基盤構築のためのビジネスプラン、新規事業開発、コンテンツ領域拡大といった業務を推進。コンテンツビジネス領域拡大に向け、東南アジアにおいて日本コンテンツセールスを推進など現在も海外案件の対応を担当。

 

鄭 守娟
エンタテインメントビジネス局 グループビジネスデザイン部
2013年博報堂入社、営業局にて外資から大手ドメスティックブランドまでの制作担当として実務経験を積み2017年博報堂DYメディアパートナーズコンテンツビジネスセンターへ。各コンテンツのクライアントセールスから現在は展示、舞台、映画などのアソシエイトプロデューサーとして名高い先輩の方々の下で修行中。

 

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